ムービーに対する一考察

以前、ABCさんと話をしたときに「ムービーはいらない」という端的な意見が出た。大賛成である。

TVや雑誌といったメディアでの紹介用にポリゴン画像(おもにムービー)が必要不可欠である感がある。

雑誌というメディアで取り扱う以上、絵と文章でしか伝達できず、そこで競うためには、他よりよいグラフィックを載せることが重要であった。

TVコマーシャルも宣伝メディアの一つであるが、やはり、実際に操作してみる以上の納得は得られない。

しかしながら、メディアが伝えやすい端的な部分だけが重要視され、インターフェース部分がどうでもよいようなゲームを生んでしまった。

一般的には奇麗なゲームは凄いゲーム。

だが、面白いゲームかというとそうでもない。逆に辛く、つまらないゲームである場合が多い。

 

切に願うのは、インターフェースの整ったちゃんと遊べるゲームである。

純粋にゲームのウリとは何だったか、ゲームの面白さとは何だったか、思うにハード性能の向上とともに失われつつある(軽視されつつある)インターフェース部分である。

ゲームセンターのゲームを例にとると、良作か駄作かは100円を入れることで、体験することができ、プレイして面白いゲームを選ぶことができる。

要はゲーム性、インターフェースのしっかりしたものにしか二回目のお金を入れないので、「つまらないゲーム」=「インカムの低い(お金の入りが少ない)ゲーム」となり、自然と淘汰されて行った。操作性が悪く、動きが気に入らなければ駄作。もはや弁解の余地はない。それ以前に、ロケテストの時点でインカムの低いものは存在さえも許されない。

どんなゲームか試して見るのに100円は損ではない値段である。しかし、家庭用ゲーム機では、初期投資に5000円以上必要となる。つまらなかった場合には売るしかなく、差額も100円では済まない。

 

結局、何が言いたいのかというと、ポリゴン、ムービーなどの「メディアで注目を集めるだけ」のプレイに耐えない覧用ソフトをやめ、浮いた分の制作費を全て使わなくてもよいから、単純に遊んで楽しいゲーム、地味だけど面白いモノを丁寧に作れということ。それを主流とすることが必要な業界になりつつあるのではないか。いや、なっているのではないか。

 

地味なゲームは売れなく、派手なゲームに面白いものはない。ゲーム離れが進んでいる一因のようにも感じられる。

実際に、ハード性能の向上により生まれた「ハード性能を見せるためのゲーム」は、戻れないベースラインを組んでしまった。しかし、当時の最先端の技術で作られたCGやムービーも、一年経つと見る影もないものになってしまう。

「ゲームって面白いのか?」

ええ、モノによっては・・・。